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| 筆者が記憶している最初の音楽はNHKラジオの「ブーフーウーのテーマソング」や「春日八郎のお富さん」だったりするわけだが[苦笑]、LPレコードとしては、親が“情操教育用[笑]”に買って来たのであろう「中村メイ子の動物の謝肉祭」だったと思う。これをコロンビアの電畜[死語]で聴いた。クラシック楽器の名称と音色の関係はこのレコードで覚えた。同じく家にあった映画音楽大全集的なLPも愛聴盤だった。これには「シェルブールの雨傘」や「太陽がいっぱい」などの全盛期のフランス映画のオリジナル・サウンドトラックが沢山入っていた。別の似たようなLPにはもっと古い「アラスカ魂」や「ローハイド」が入っていた。これらはいずれも小学校4年〜6年つまり1961〜64年頃のことだが、だから筆者の音楽的な原点はポピュラーなクラシックと映画音楽と言うことになる。 |
| ほぼ同時期。NHKの「光子の窓」「夢で逢いましょう」あるいは民放の「ザ・ヒットパレード」などで洋楽を聴き始めた。前者は前田憲男が噛んでいたし、後者はナベプロのタレントを中心としたアメリカのヒット曲の日本語版である。今ではいわゆる「60's」として知られるそれらの曲は本当に素晴らしいものばかりであり、我がiTunesコレクションの大きな部分を占める(が、聴くことは殆ど無いので正にコレクション[爆])。アメリカ以外の曲もいくつかあり、なかでもシルビー・バルタンの「アイドルを探せ」は印象的だった。来日して「夢で逢いましょう」に出た時に、シルビー・バルタンの余りの美脚に感動して、それ以来、足フェチになったぐらいである[苦笑]。シルビー・バルタンは交通事故で顔がグチャグチャになる前までは本当に可愛かったのである(遠い目…)。 |
| そしてベンチャーズ・ブームがやってきた。いわゆるひとつの「テケテケテケテケ……♪」である。寺内タケシとブルージーンズや加山雄三も良く聴いた。何故なら東宝映画の若大将シリーズはほとんど全部映画館に見に行ったからである。 但しもちろん、クレージー・キャッツの映画も必ず見に行ったし「シャボン玉ホリデー」は毎週欠かさず見ていたので最盛期の植木等の美声かつ破茶目茶な存在感は永久に忘れない(蛇足だが、コメディアンで滅茶滅茶、歌がうまいのは植木等と坂上次郎と財津一郎である。何故なら全員、ちゃんとした発声練習と教育を受けているからである)。 この時点で世界的には既にビートルズと言う超巨大な存在を中心とする音楽革命が起きていたのだが、一人っ子である筆者は自分なりの情報源=テレビしか無かったので、歌謡曲とベンチャーズ系しか知らなかった。 歌謡曲と言えばこのころから15年間ぐらいが最盛期なのだが、特に奥村チヨの大ファンでLPレコードは今でも処分せずにごっそり保管してある。クリスマス・ディナー・ショーに行ったこともある。奥村チヨのLPを29枚も持っているのはこの筆者ぐらいのもんだろう[苦笑]。 |
| 東京オリンピックの翌年、中学受験で無事、慶應義塾普通部に入学した時から音楽をはじめとするありとあらゆることの情報量が格段に増えた。これは慶應みたいな所にいる大きなメリットである。何しろご学友はオーナー系お金持ちのご家庭ばっかりだから当時の最先端情報が溢れるほど手に入ったのである。 そしてビートルズを知り、たちまちにして填りに填った填り狂った。いきなりその時点で発売されていた全てのLPを買い込み聴きまくった。映画も見に行った。ビートルズ・シネマ倶楽部と言うのに入って、公民館などで会員向けに上映される「A Hard Day's Night」と「Help!」を50数回観た。あえて付言するが当時はビデオというものはないから他にビートルズの映画を見る方法がなかったのである。「Let It Be」が公開された時は早朝から友人数名と日比谷の映画館の前に並んで席を確保して、そのまま一度も席を立たずに4回連続で観た。会場内では上映が終わるたびに「外で沢山のお客様がお待ちです。席をお譲り下さい」と館内放送が叫んでいたが、殆どの観客が席を立たないのであった。とにかく、ビートルズと同時代に生まれたのはラッキーとしか言いようがない。 ただしメンバー個人として好きなのはポール・マッカートニーだけあって、他の三人は全くどうでも良かった。特に射殺された関係からカリズマ化したジョン・レノンはオノ・ヨーコに狂ってビートルズを解散に追い込んだ張本人だから大嫌いである。ジョージ・ハリスンは世界で最も有名だったバンドの世界一下手なプロギタリストと言う冗談みたいな存在としてしか意味がない。解散後唯一のヒット曲は盗作だったし[苦笑]。リンゴ・スターはボンゾに通じる独特のタイム感だけは多少評価できるが結局はどうでもいい。 なおポールに関してもビートルズ時代だけを評価するのであって、ビートルズ解散後は(「My Love」だけは別として)どうでも良い。才能が勝負のアーティストには“旬”と言うものがあるのだろう。 それと、この時代はいわゆるビートルズ派とストーンズ派に分かれる訳だが、これはまるで巨人と阪神を比べるようなものなので全く意味がないと思う。格と実力と音楽あるいは文化そのものに与えた影響が全く違うんだから。だからストーンズ派を自称する人とは絶対に音楽の話はしない。 |
| 中学高校時代、テレビでは大橋巨泉司会の「ビートポップス」が洋楽の情報源としては重要だった。ゴーゴーダンスを踊っていた小山ルミは可愛かった。杉本エマも出ていたんだっけ?とにかく、この番組とミュージックライフやティーンビートのビルボード・トップ・テン(あるいはキャッシュボックス・トップ・テン)でアメリカの最新音楽事情を追いかけていた。FMやラジオは殆ど聞かなかった。この頃の星加ルミ子と木崎義治と湯川礼子は湾岸戦争の時の江畑さんみたいな人間データベースだった。 レコードはLPを中心にどんどん買いまくった。シングル盤は殆ど買った記憶がないのだが処分するときに数えたら、それでも200枚以上はあった。LPについては最終的に600枚を越したが数年前に大半を処分した。 |
| さて、ビートルズに続いてニューロック(死語)ブームというのが到来した。メロディーラインよりも演奏テクニックやアドリブ・プレイを前面に押し出したロックのことである。 筆者としてはビートルズに填りすぎていたので最初は出遅れたのだが、やがてしっかりと填った。ちょうどその頃、日本のグループサウンズ・ブームが下火になり、日劇ウエスタンカーニバルの内容が変化し始め、そして最後のウエスタン・カーニバルにニューロックの立て役者の一人であるジョン・メイオールが出演するというので見に行った。前座は成毛茂と、つのだ☆ひろ(角田ヒロ)のデュオだった。成毛茂は右手でハモンドオルガン、左手でギター(ハマリング&プリングオフ)、脚でハモンドのベースという超絶技巧を披露。メリージェーンのソロでは見たことのない手作りエフェクターボックスを通して当時としては感動的なウーマントーンを出したり、Led Zeppelinのハートブレーカーの途中のギターソロを完全なフルコピーで演奏したりと頑張っていたが、最後に出てきたジョン・メイオール・トリオ(ドラムレスで、ジョン・メイオールがボーカルとブルースハープ、ハービー・マンデルのギター、そしてベース)を聴いたらぶっ飛んだ。音楽のクォリティが段違い平行棒だったのである。特にハービー・マンデルのテクニカルかつメロディックでオリジナリティあふれる演奏(成毛茂にはテクニックはあってもオリジナリティやイマジネーションや情感というものが全くない)にぶったまげた。 これ以降、ロックは絶対に日本人がやるもんじゃないし、日本人がやるものは聴くもんじゃないと思ったし、それは今でも基本的に同じである。 |
| こうしてクリームだジミヘンだディープ・パープルだBS&Tだシカゴだと言う時代になるわけだが、筆者は本当の本物、Led Zeppelinに填った。Jimmy Pageこそアイドルだった。武道館の東京公演は2年連続4回観た。最高だった。「映画:永遠の詩」は何回観たか分からないぐらい観た。今でもDVDで良く観る。 なお日本では未だにディープ・パープルの方が人気があるようだが、これもビートルズとストーンズの比較と同じで意味がない。ディープ・パープルはマイナーメロディック系ヘビメタ+リッチー・ブラックモアの分かりやすいソロで日本人向きなだけで音楽性は希薄。これに対してLed Zeppelinは別格官幣大社王道覇道孤高の存在なのである。 いずれにせよ中学 → 高校と完全にロック少年として過ごしたわけである。同時期の対抗勢力[笑]である「フォーク・ブーム」は明確に嫌悪した。理由は単純でアメリカやイギリスの音楽に比べて、余りにも音楽的レベルが低く、妙に小市民的で、かつ格好悪かったからである。音楽はエンターテイメントであり、だから見た目が良くなくちゃ話にならないからである。 |
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しかも音楽性まで完璧なんだからLed Zeppelinは凄かった そして何よりJimmy Pageは足が長い |
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| 但し同時並行的に相変わらず奥村チヨと、その他歌謡曲も良く聴いた。日本人である筆者は、ずぅ〜〜〜っと洋楽(つまりは英語の歌詞)だけを聴いていると精神的な消化不良を起こすらしく、たまには、お茶漬けならぬ歌謡曲を聴かないと気分がリセットされないのである。 但し但し、実は筆者は洋楽でも邦楽でも歌詞は全く聴いていない。と言うか歌詞としては耳に入らない。聴いているのは全て楽器であり、かつ全ての楽器は頭の中でバラバラに鳴っている。例えばビートルズを聴く場合は大抵はポールのベース・ラインを追いかけている。そう言う意味では歌も楽器の一部である。この結果、英語の歌詞は意味と関係なく音で憶えているが、日本語の歌詞は全く記憶できない。だから例えばビートルズのミッシェルのフランス語部分は今でも空で歌えるのだが、何十回も聴いているYumingの曲の歌詞は全く頭に入っていない。 |
| ところで音楽ソースは世代的にLPレコードが中心だった。途中、オーディオ遍歴にも書いたが若干はFMも聴いたが填ることはなかった。なにしろFMは聴きたいときに聴きたいモノをやっていない。カセットはもっぱらカーオーディオ用。途中からこれにレーザーディスクが加わった。主としてハードロック系のライブが中心。CDはアナログ・オーディオへの投資が物凄かった[苦笑]ので出遅れた。だからコレクションも余り増えないまま過ぎた。 |
| ジャズについてはオーディオに填った関係から多少は聴き囓ったし、LPレコードも200枚ぐらいは買ったが、しかし結局、本当の意味で填ることはなかった。一番最初に買ったのはマイルス・デイビスの「Miles in the Sky」で、これはマイルスがエレクトリック・ジャズに移行するエポックとなる作品だが、最初に買うジャズのLPとしては明らかに失敗であった。 それはさて置き、何故ジャズに填らなかったのか? 理由は沢山ある。
とにかくジャズは筆者とはあまり縁がないらしい。 但し本当にうまい連中のライブは別。ジャズ喫茶規模の会場で観たのはケニー・バレル・トリオとジョー・パス・トリオだけだが、そのときの感動は今でもはっきりと覚えている。 ケニー・バレルが演奏前の指慣らしで6弦の開放から1弦の22フレットまでの全音階を信じられないほど滑らかに2秒弱ぐらいで何度も弾き切ったテクニックには呆れたし、北九州のジャズ喫茶で目の前1m弱で見たジョー・パスの正にほとばしるように溢れ出るメロディックでエモーショナルなアドリブに背筋がゾクゾクするような感動を味わったことはまるで昨日のことのように憶えている。 ついでに言えば基本的に日本人のジャズはどうでも良い。特にある意味で別格扱いされているナベサダは大嫌い。何と言っても音が悪い。昔、名前を忘れてしまったが誰かアメリカの中堅アルト・プレーヤーとのジョイントのコンサートを見たことがあるのだが、両者の差は余りにも歴然としていた。それで思い出したが、日本のジャズ界では大御所とも言えるドラマーの猪俣猛率いるジャズ・ロック・バンドが最初にBS&Tが来たときの前座だった時のこと。その猪俣猛バンドを聴いたときはバディ・リッチ系の手数の多さに凄いと思ったのだが、後でBS&Tの出番となり、そのドラマーである当時まだ若干20歳ぐらいの筈のボビー・コロンビーの桁違いのテクニックとリズム感に呆れてしまった。特にバスドラの使い方が全く違うのには驚いた。やっぱりアメリカは本場は桁が違うのである。 もう一点。日本人のジャズ・ボーカリストは全て一切、認めない。あれはジャズじゃない。中でも特に際だって酷いのが大御所とか大ベテランとか言われている笈田敏夫とマーサ三宅である。笈田敏夫は単純素朴に歌そのものが下手。声量も皆無。英語の発音も米軍キャンプ周りをしていたとは信じられない。マーサ三宅に至ってはスイングすべきところで“こぶしが回っちゃう”と言う信じがたいほど致命的な欠陥がある。つまりジャズの筈が演歌になっちゃうのだ[爆笑]。後は押して知るべし。ジャズ・ボーカルを聞きたければ本国人のものを聴けばよいのである。とにかく日本人ではお話にならない。ついでに脱線すれば(ジャズの話ではないのだが)アメリカで育った宇多田ヒカルは日本で聴けば巧さや黒っぽいフィーリングが目立つのは確かだが、しかし宇多田ヒカルより遙かに歌のうまい無名の歌手はアメリカには間違いなく100万人以上居るはずなのだ。 但し美空ひばりだけは例外。以前にビートたけしの深夜番組のタイトルに使われていたスター・ダストはクレジットが出るまでは日本人=美空ひばりが歌っているとは分からなかったぐらいに完璧にジャズである。彼女は英語が全く話せなかったのだが外盤を耳だけで覚えてジャズ・アルバムを出している。その英語の発音は完璧であり、完全にスイングしているのである。美空ひばりは本当の本物の天才だったのである。 更に蛇足だが、日本人のジャズが駄目だというのは昔の作品を聴けば分かる。アメリカの本場のジャズの場合、古いものを聴いても名盤は名盤であり名演は名演である。しかし日本のジャズの場合、その昔スイングジャーナル誌あたりで絶賛された作品であっても、今となっては聴けたもんじゃないのである。これは例えば今から30年ぐらい前の国産スポーティ・セダンを、同じ時代のBMWやAlfa Romeoを比べてみた場合と同じ事だと思う。BMW2002tiiやAlfa Romeo 1750GTヴェローチェは今見てもかっこいいし名車だったと理解できるが、初代のセリカやケンメリのスカGなんて今となってはロクなもんじゃないのである。30年前の日本はまだまだ後進国だったと言うことがよく分かるのである(欧米を基準にすれば、日本は今日ただ今現在であっても、未だに文化的に遙かに後進国だし永久に追いつけないと筆者は思うが……って、あら脱線)。 |
| 脱線ついでにもう一つ。ジャズが好きでポール・マッカートニー(の曲)が嫌いでジャズ・ギターを演奏すると言う女性が居る。ジャズ教室に通いフリージャズを演るのだそうである。ところが演奏する時は必ず譜面が必要である。ジャズの真骨頂はアドリブ=つまり即興演奏にあると思うのだが譜面がなければ演奏出来ないとはこれいかに[爆笑]。前述のごとくフリージャズは筆者から見れば音楽ではないが、ポールの作る曲はどれも極めてメロディカルなものばかりである。譜面を見ないと即興演奏である筈のジャズが演奏出来ず雑音のようなフリージャズが好きでメロディックな曲は嫌いであると言う人間が自称音楽好きであり得るのだ[爆笑]。 だから筆者は滅多なことでは(良く知らない)人とは音楽の話をしない。趣味や感性が一致する可能性は限りなくゼロに近いからである[爆]。 |
| なおクラシックは全く聴かない。 |
| 大学時代はロック少年の延長でありバンド活動にいそしんだわけだが、大学三年の慶應義塾大学広告学研究会葉山キャンプストアで常駐役員を勤めた関係から二ヶ月間毎日、浜辺でかかっていた当時デビューしたばかりの荒井由美(現・松任谷由実=Yuming)の“もちゃぁ〜〜っとした鼻声”を最初は「なんなんだこれ」と思っていたのがやがて癖になり[苦笑]、結局それからYumingファンになってしまった。 Led Zeppelinの後はロック界に填るべきアーティストは居なくなり、その意味でもYumingに行くしかなかったのかもしれない。 但しユーミンの「ガ行」の発音だけは何とかして欲しい。日本語で「が」をそのまま「ガ」と発音するのは「蛾」だけであって、「何々が」の「が」は鼻濁音の「んが」ではければいけないのである(きっぱり)。 ところで歌モノはロック以外は女性ボーカルが好みなので、その関係から昔で言うニューミュージック系のものは嫌いではない。どれも毒にも薬にもならないが演奏は一流だし耳に心地よいからである。 |
| 閑話休題 ポピュラー音楽の世界にはかつて10年周期の法則と言うものが存在した。
この認識が根底にあるのでLed Zeppelinを最後に、筆者にとってアイドルは存在せず、同時に音楽への興味も(少なくとも新しいものに関しては殆ど)失われたと言って良い。 |
| 大学を卒業して社会人になった頃からウォークマンが世に出たが、この辺から完全に世の流れについて行けなくなった。筆者の感性では車の中のカーステレオは分かるが、歩きながらの音楽鑑賞は全く理解の外なのである。 そもそも筆者は「ながら族」ではない。筆者の世代はオールナイトニッポン世代でもあるが、筆者の場合は勉強中に音楽(ラジオ、オーディオ)は絶対にかけなかった。そもそもラジオは嫌いだった。パーソナリティと称する連中の下らないお喋りを聴く趣味はないし、試験前の一夜漬けに限らず、何かをするときは極端に集中する方なので雑音は一切困るのである。 だから、発表当初(2001年)は填っていたiTunesだが、すぐにPowerBook G4の操作中にヘッドフォンを被ることはなくなった。音楽を聴きながらでは、ちゃんとした文章は書けないからである。Adobe Photoshopの操作にも支障を来す。 要するに、筆者にとって音楽とは音楽に集中したいときに集中して聴くものであって、何かをしながらとか歩きながらあるいは電車の中で聴くものではない。日本国内を運転しているときはほとんどが渋滞の中だから運転は楽しみではなく、単なるルーティンワークとなるのでカーステレオは必須だがこれは例外である。箱根の山道や東名高速を本気でかっ飛ばすときは耳はエンジン音やスキール音に集中しているので音楽は不要である。 繰返しになるが、年がら年中ウォークマンを装着するという感性は筆者からすると全く理解の外である。 理解の外と言えば、レゲエ・ブームあるいはラップ・ミュージックぐらいから世の音楽的流行は全く持って理解の外である。永久に“スッチャチャんチャ”のレゲエのどこが良いのだろう?? 意味の分からないラップを聴いてなにが楽しいんだろう?? |
| 1987年夏からNIFTY SERVE(当時。現・@nifty)に入ってから一日の自由な時間のほとんどがパソコン通信に取られてしまった。1988年にMacintoshに填ってからは起きている時間の殆どはMacの前に座っていることになった。そして更に1995年夏からインターネットに填った。 以上の結果、1987年以降のテレビ番組やヒット曲をまるで知らない。継続して購入していたのはYumingのCDアルバムだけだったが、これも一種の惰性であった。さすがのYumingもアルバムとして意味があるのはU-mizまでである。 かくて、それまでの音楽的知識は過去の資産となり、筆者と音楽の結びつきは非常に希薄になった。 であるから、好きな曲、好きなアーティストはすべて1980年以前が中心となる。つきあいのカラオケの関係[苦笑]から、多少の“仕入れ”はあるにせよ、新しい曲は全く知らないと言って良いだろう。しかし幸いにしてポピュラー・ミュージックの最盛期の最後の時代に青春を過ごすことが出来た世代であるから、個人的には何の悔いもない。 |
| と言うわけで、音楽に関しては小学校から30代までは人一倍填ったが、今は人並み以下の関わりしかしていない。新しい音楽には殆ど興味がないし、知識も情報もない。趣味でギターを弾く関係からヴァン・ヘイレンやイングベイ・マルムスティーンやスティーブ・ヴァイのようなエポックメイキングな存在のギタリストに限っては突然ビデオ(DVD)を買ったりするがCDは買わない(何でかと言えば、この手の連中の奏法は音を聞いただけでは何をどうやっているのかが全く分からないからである。但し映像を見ても弾けないのが悲しいところだが[苦笑])。 何故、今やCDを買わないのかと言えば、アルバムとして考えた場合、ビートルズのアビーロードに匹敵するようなものは滅多にあるものではないからである。ビートルズが偉大だったのはデビュー盤(英国:With The Beatles、米国と日本:Meet The Beatles)から最後の「Let It Be」まで、すべてLPアルバム一枚全部を聴く価値があったことにある。 その意味ではLed Zeppelinだってアルバムとして本当に価値があるのは初期の5枚だけであり、もっと厳密に言えば最初期の2枚だけである(ついでに言えば、Led Zeppelinのベストは誰が何と言おうと1枚目である)。 逆に前述のテクニカルな今風ギタリストたちの場合、ビデオやLDやDVDで見ると、その笑っちゃうような馬鹿テクが心地よい。この場合、器械体操などの曲芸的スポーツ競技を見ているようなものだから曲の良し悪しは二の次になるわけである。 |
| こんな調子で音楽への興味が薄れた関係から600枚ほど集めたLPレコードと150枚ほどのレーザーディスクの大半は1999年末に処分した。音楽CDも2006年1月に殆どを処分した。この結果、現在手元(と言っても実際には実家)にあるのはLPとLDをあわせて100枚弱とCDが30枚ぐらい。今後CDが増える可能性はまず無い。気になるCDがあればレンタルしてPowerBook G4+iTunesでAACにしてお仕舞いだからである。 |
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処分せずに残した僅かのLPとLDとシングル盤。左にあるのはLED ZEPPELINのBOXセットの化粧箱。残したLPの大半は奥村チヨのだったりする[爆]
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最終処分直前の実家のCDラック
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| 以上を総括すると、筆者の価値観では音楽鑑賞というジャンルは過去の存在を凌駕するものがもう二度と現れないことが分かり切っているから今さら填るべきアクティブな趣味としては成立しない。もちろん読書と同じで過去はそのまま保存されており、それをいつでも振り返ることは出来るし、音楽が嫌いになったわけではない。しかし本質的に新しもの好きであり、そこに発見と刺激を求める筆者としては、音楽鑑賞、あるいは音楽というジャンルそのものが個人的趣味の中では過去の存在、過ぎ去りし日の思い出のひとつとなるのである。 |
| 勿論、2001年11月17日土曜日にApple iPodが届いてからは一時期よりは音楽を聴く機会は増えたが、昔のような音楽漬け生活とは違う。 |
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